2023年夏、政府は「新しい資本主義」の加速を鮮明にし、「三位一体の労働市場改革」に乗り出す方針を固めました。
「三位」とは(1)リスキリングによる能力向上支援(2)個々の企業の実態に応じた職務給の導入(3)成長分野への労働移動の円滑化――を指しており、人材の活用と育成に注力している企業にとって重要な動きとなります。
「三位一体の労働市場改革」の具体策を盛り込んだ政府の「経済財政運営と改革の基本方針2023」(骨太の方針)と「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2023改訂版」をひも解き、要所とポイントをわかりやすくお伝えします。
参照記事:解説「労働市場改革」と「人への投資」を詰め込んだ新しい資本主義 ~人材と成長を求める企業に直結~
目次
・背景と方針
・改革の目標
・方向性とあり方
(1)個人への直接支援の拡充
(2)日本企業の人への投資の強化の必要性
(3)「人への投資」施策パッケージのフォローアップ
(4)雇用調整助成金の見直し
(5)デジタル分野等の講座の拡充
(6)リスキリング費用の控除の仕組みの柔軟化
個々の企業の実態に応じた職務給の導入 (1)職務給の個々の企業の実態に合った導入 (2)給与制度・雇用制度の透明性の確保
成長分野への労働移動の円滑化 (1)失業給付制度の見直し (2)退職所得課税制度等の見直し (3)自己都合退職に対する障壁の除去 (4)求人・求職・キャリアアップに関する官民情報の共有化 (5)副業・兼業の奨励 (6)非正規雇用労働者等への支援
まとめ
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「三位一体の労働市場改革」の概要
背景と方針
<背景>
日本の賃金水準は長期にわたり低迷。先進国の1人当たり実質賃金の推移を見ると、1991年から2021年にかけて米国は1.52倍、英国は1.51倍、フランスとドイツは1.34倍に上昇しているのに対して、日本は1.05倍。企業は人材投資に消極的で、個人も十分な自己啓発を行わない状況が続いています。
この問題の背景には、年功賃金制の戦後に形成された雇用システムが存在。職務(ジョブ)やこれに要求されるスキルの基準も不明瞭なため、評価・賃金の客観性と透明性が十分確保されておらず、個人がどう頑張ったら報われるかが分かりにくいカタチです。
エンゲージメントが低いことに加え、転職しにくく、転職したとしても給料アップにつながりにくいため、やる気があってもスキルアップや学ぶ機会へのアクセスの公平性が十分確保されていません。
<方針>
職務ごとに要求されるスキルを明らかにして、働く人が自分の意思でリスキリングに挑み、職務を選択できる制度に移行していくことが重要です。
社外からの経験者採用に積極的に門戸を開き、社内・社外ともに労働移動できるようにすることが日本企業と日本経済の更なる成長のためにも急務です。
希望する個人が雇用形態、年齢、性別、障害の有無を問わず、将来の労働市場の状況やその中での働き方の選択肢を把握しながら、企業内での昇任・昇給や転職による処遇改善に動く時代です。
改革の目標
「三位一体の労働市場改革」を進めることで、日本企業と外国企業の間に存在する賃金格差を縮小することを目指します。
性別、年齢による賃金格差の解消も進めるとともに、転職によって賃金が増加する人の割合が減少する人の割合を上回ることを目指します。
方向性とあり方
在職中からのリスキリング支援やコンサルティング機能の強化を含めて雇用のセーフティーネットを確保・拡充し、下記の「3つの視点」を重視します。
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企業内の人事・賃金制度の改革によって労働市場全体の活性化も狙います。個々の企業の実態に応じて労使による企業内の人事・賃金制度の見直しを推し進め、労働移動に対する不安感を払拭していきます。
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日本の雇用慣行の実態が変化する中で、雇用の安定性を保全しつつ、構造的賃上げを実現。働く人の立場で円滑な労働移動の確保を通じ、多様なキャリアや処遇の選択肢の提供を確保します。
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大企業内の人事制度を柔軟にすることで、一定期間の中小・小規模企業への出向や副業・兼業を通じた経験がスキルとして客観的に認識されるようになり、大企業と中小・小規模企業間の人材交流が活発化します。
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この「3つの視点」を踏まえて「三位一体の改革」を進めていく方針です。
リスキリングによる能力向上支援
(1)個人への直接支援の拡充
<施策>
現在、国の在職者への学び直し支援策は企業経由が中心です。企業経由が76.5%(771億円)、個人経由が23.5%(237億円)となっていますが、働く個人が主体的に選択可能となるよう、5年以内を目途に過半数が個人経由での給付が可能となるようにして在職者のリスキリング受講者の割合を高めていきます。
単位:億円
出典:新しい資本主義実現会議
<施策>
業種を問わず適用可能な科目についてのリスキリングが、働く人の中長期的なキャリア形成に有効との先進諸国での経験を踏まえ、民間教育会社が実施するトレーニング・コースや大学が実施する学位プログラムを含め、業種・企業を問わずスキルの証明が可能なOff-JTでの学び直しに重点を置きます。
<施策>
業種・企業を問わず個人が習得したスキルの履歴の可視化を可能とする一助として、デジタル上での資格情報の認証・表示の仕組み(オープンバッジ)の活用の推奨を図ります。
<施策>
キャリアコンサルタントの役割の強化を図り、将来的には、民間に在籍するキャリアコンサルタントの一部にも支援措置の妥当性の確認の役割を担わせる可否の検討を進めます。
<施策>
教育訓練給付の受給に係る手続について、オンラインを活用して受給までの効率化を図ります。
<施策>
企業内でも訓練機会に乏しい非正規雇用労働者について、働きながらでも学びやすく、自らの希望に応じたキャリアアップにつながる柔軟な日時や実施方法によるリスキリング支援を実施します。
(2)日本企業の人への投資の強化の必要性
<現状>
日本企業の人への投資(OJTを除く)は、2010年から2014年に対GDP比で0.1%にとどまり、米国(2.08%)やフランス(1.78%)などの先進諸国に比べても低い水準にあります。
<対応>
人口減少により労働供給制約が強まる中、人への投資を行わない企業は優秀な人材を獲得できなくなり、それは企業価値や競争力の弱体化に直結することを認識しなければなりません。
(3)「人への投資」施策パッケージのフォローアップ
<施策>
パッケージの各支援策が働く人にとってより利用しやすいものとなるよう、毎年度パッケージの実施状況をフォローアップし、その結果を翌年度の予算内容へと反映します。
<施策>
受講後の処遇改善・社内外への昇進・登用に与える効果についても計測し、分析を行い、施策の改善に活かします。
(4)雇用調整助成金の見直し
<現状>
現在の雇用調整助成金は、教育訓練、出向、休業のいずれかの形態で雇用調整を行うことによる費用を助成する制度です。
急激な経済情勢の悪化に対する雇用維持策として重要な役割を果たしてきましたが、助成が長期にわたり継続する場合、労働者の職業能力の維持・向上や成長分野への円滑な労働移動を阻害するおそれがあるとの指摘もあります。
<対応>
このため、在職者によるリスキリングを強化するため、休業よりも教育訓練による雇用調整を選択しやすくするよう、助成率を見直します。
(5)デジタル分野等の講座の拡充
<施策>
デジタル分野へのリスキリングを強化するため、専門実践教育訓練について、デジタル関係講座数(179講座)を、2025年度末までに300講座以上に拡大します。
(6)リスキリング費用の控除の仕組みの柔軟化
<施策>
給与所得控除におけるリスキリング費用の控除の仕組み(特定支出控除)について、勤務先企業だけでなく、キャリアコンサルタントも、そのリスキリングが職務に関連する旨の証明を行えるように改正しましたが、新制度の活用状況も見ながら更なる制度の柔軟化を検討します。
個々の企業の実態に応じた職務給の導入
(1)職務給の個々の企業の実態に合った導入
<方針>
職務給の個々の企業の実態に合った導入による構造的賃上げを通じ、同じ職務であるにもかかわらず、日本企業と外国企業の間に存在する賃金格差を、国ごとの経済事情の差を勘案しつつ、縮小することを目指します。
<施策>
従来のメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用への移行を後押しします。具体的には職務給(ジョブ型人事)の日本企業の人材確保の上での目的、ジョブの整理・括り方、これらに基づく人材の配置・育成・評価方法、ポスティング制度、リスキリングの方法、従業員のパフォーマンス改善計画(PIP)、賃金制度、労働条件変更と現行法制・判例との関係、休暇制度などについて事例を整理。個々の企業が制度の導入を行うために参考となるよう、多様なモデルを示していきます。
(2)給与制度・雇用制度の透明性の確保
<施策>
給与制度・雇用制度の考え方、状況を資本市場や労働市場に対して可視化するため、情報開示を引き続き進めます。
<施策>
企業が有価証券報告書や統合報告書に記載を行う際に参考となる「人的資本可視化指針」(2022年8月策定)についても、早期に改訂します。
成長分野への労働移動の円滑化
(1)失業給付制度の見直し
<現状>
自らの選択による労働移動の円滑化という観点から失業給付制度をみると、自己都合で離職する場合は「求職申込後2カ月ないし3カ月は失業給付を受給できない」となっており、会社都合で離職する場合と異なる要件となっています。
<対応>
失業給付の申請時点から遡って例えば「1年以内にリスキリングに取り組んでいた場合については会社都合の場合と同じ扱い」とするなど、自己都合の場合の要件を緩和する方向で設計します。
(2)退職所得課税制度等の見直し
<現状>
退職所得課税については、勤続20年を境に勤続1年当たりの控除額が40万円から70万円に増額されています。これが自らの選択による労働移動の円滑化を阻害していると指摘されています。
<対応>
制度変更に伴う影響に留意しつつ、税制を見直します。
<施策>
個人が掛金を拠出・運用し、転職時に年金資産を持ち運びできるiDeCo(個人型確定拠出年金)について、拠出限度額の引上げ及び受給開始年齢の上限の引上げについて、公的年金の財政検証に併せて2024年までに結論を得ます。
(3)自己都合退職に対する障壁の除去
<現状>
一部の企業では、自己都合退職の場合に退職金の減額、勤続年数・年齢が一定基準以下であれば退職金を不支給などといった労働慣行があります。
<対応>
厚生労働省が定める「モデル就業規則」において、退職金の勤続年数による制限や自己都合退職者と会社都合退職者で異なる取り扱いが例示されていることが影響しているため、このモデル就業規則を改正します。
(4)求人・求職・キャリアアップに関する官民情報の共有化
<参考>
デンマークでは、政府が賃金、求人といった客観的な指標を民間から集め、各職種の見通しを「緑・黄・赤」といった形で半年ごとに明示。ケースワーカーはこれを参考に、良い職業に移動できるよう働く人をサポートしています。
<対応>
日本でも成長分野への円滑な労働移動のため、求職・求人に関して官民が有する基礎的情報を加工して集約し、共有して、キャリアコンサルタント(現在6.6万人)が、その基礎的情報に基づき働く人のキャリアアップや転職の相談に応じられる体制を整備します。
<施策>
ハローワークの保有する「求人・求職情報」を加工して集約し、民間人材会社の保有する「求人情報」のうち、職種・地域ごとに、求人件数・(求人の)賃金動向・必要となるスキルについて求人情報を匿名化して集約します。その方法については、転職賃金相場をまとめている人材サービス産業協議会の場において検討します。
(5)副業・兼業の奨励
<施策>
成長分野への円滑な労働移動を図るための端緒としても、副業・兼業を奨励します。このため、副業・兼業人材を受け入れる企業、送り出す企業への支援など、働く人が新たなキャリアに安心して移行できるようにするためのトライアル環境を整備します。
(6)非正規雇用労働者等への支援
<施策>
非正規雇用労働者等の雇用保険対象外の求職者の労働移動についても、助言・コンサル等の支援を実施します。
まとめ
「経済財政運営と改革の基本方針2023」(骨太の方針)と「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2023改訂版」のポイントを整理すると、「人への投資」で「構造的賃上げ」と「円滑な労働移動」を推し進めたいとする政府の狙いが明確に見えてきます。
2023年度から27年度までの5年間で、政府は「人への投資に1兆円」の予算を充当します。政策の中心となるのは「労働市場改革」であり、これに紐づく企業直結の具体的な事業が次々と展開される見通しです。政府の方針と施策を把握して、企業の成長と繁栄に活用することをお勧めします。