日々、新たな切り口で魅力的なタイトルを冠した新刊が登場する「ビジネス書」。
有名経営者や著名人の思想・仕事術を学べる「ビジネス書」は、自己成長やスキルアップをめざしたい、仕事の進め方や人間関係を改善させたいビジネスマンとって、多くの学びを与えてくれることでしょう。
本連載では、リスキリング&コーチングの専門家であり、15年で400社を超える組織の構造改革・雇用調整におけるHRコンサルティングに携わる一方で、リーダーとして200名を超える組織のピープルマネジメントも経験する下瀬川氏が、リスキリングやコーチングにお悩みの方やご興味がある方へ、お勧めのビジネス書を書籍要約と共にご紹介いたします。
書店に行くと、さまざまなビジネス書や自己啓発本がところ狭しと並んでいます。学術書や専門書を置いていない小さな本屋でも、自己啓発に関する本がない書店はほとんど見かけません。しかも、毎月のように、新しい自己啓発本が出版され、なかには、熱烈な読者によって長年売れ続けるものもあります。それだけ、人は「成功したい」と望んでいるからでしょう。
しかし、自己啓発の成功法則にも、系譜や流行(はやり・すたり)があるようです。アメリカのキリスト教覚醒運動(19世紀)に端を発すると言われる「スピリチュアル」系の成功哲学では、基本的に現状肯定、ポジティブ・シンキングを基本として、現在のポジティブ心理学にもつながっています。
一方、ジル・チャン著『静かな人の戦略書』では、「静かな人」=内向的な人が、むしろビジネスで信頼を勝ち得て、活躍できると主張されています。
また、オリバー・バークマン著『HELP!――「人生をなんとかしたい」あなたのための現実的な提案』のように、自己啓発そのものへの批判的な見方もあります。
今回ご紹介するのは、小説家でもあり、『言ってはいけない―残酷すぎる真実』(新潮新書)などのベストセラーがある橘玲(たちばな・あきら)氏による『シンプルで合理的な人生設計』です。本書が上で述べたような数多の自己啓発本と異なるのは、「成功」をミニマムに、そして具体的に定義したうえで、実証されたデータを用いて説明しているところでしょう。
橘氏は、自由で幸福に生きるために基本となる「土台」を持つことを「成功」と定義し、その合理的な設計方法を指南しています。著述のスタイルは緻密で理論的なため、難解な箇所もありますが、通読する価値がある良書です。
本書の目次は以下のとおりです。
最初に、著者は、“自由に生きるためには、人生の土台を合理的に設計せよ”と述べます。これが、本書の基本的な主張になります。そして、その土台とは、「金融資本」「人的資本」「社会資本」の3つの資本(キャピタル)であり、それらを、それぞれの性質に応じた合理性の範囲で、いかに構築するかで成功できるかが決まると言います。
3つの資本を右から見ていきましょう。まず、「金融資本」とは金銭的土台のことで、一部の例外を除き、ほとんどが合理的に説明できます(つまり最も合理的に構築できる)。
次に「人的資本」とは、労働市場に個人の労働力(能力)を投じて得る利益のことで、つまり仕事で得るやりがいや報酬(給与)と、それを実現するための知識やスキルを意味しています。この活用の仕方も、金融資本ほどではないにせよ、半分以上は経済合理性で判断する必要があると述べられています。
そして、「社会資本」とは人的ネットワークのことであり、友情や仲間意識、愛情などの「絆」や、アイデンティティ(共同体などへの帰属意識)のことです。この資本は、一見すると合理性とは無関係(あるいは非合理そのもの)に思われるけれども、著者に言わせると、理論的に、合理的に説明・判断できるところがあります。
これら3つの土台を合理的に構築できれば、あなたは「成功者」と言えます。
“いったん人生の土台を合理的に設計すれば、そこでどのような人生の物語を紡いでいこうとあなたの自由だ。それがとんでもなく不合理なものであってもまったくかまわないし、それでもあなたは「成功者」なのだ。” 橘玲『シンプルで合理的な人生設計』より |
著者は、人生を合理的に生きよう、と言っているのではないところに注意しましょう。自由に生きるために(=成功)、人生の土台を合理的に設計しようと言っているのです。そして、合理的であることが成功の秘訣である理由として、以下のように述べています。
“日本社会では、…政府から個人まで「合理性」を嫌う人がものすごく多い。日本人は合理性を憎んでいる。だからこそ、合理的に生きることが成功法則になる。” 橘玲『シンプルで合理的な人生設計』より |
本書の前半の理論編で、合理的であることの説明がされています。理論的で、少々細かいのですが、大きくまとめると、「さまざまな条件下で最適な選択をすること」が合理的であることになるようです。
条件というのは、私たち人間を取り巻く、さまざまな制約のことで、たとえば私たちには肉体的な限界(制約)や能力的制約、時間的制約があります。しかも、私たちの人生は、「ありとあらゆるトレードオフから構成されている」(p.19)のです。トレードオフとは、資源の制約があるために、すべてを手に入れることができない状態のことで、「彼方立てれば此方が立たぬ」状況を言います。100円しかないときには、100円のミカンと100円のリンゴは同時に買えないということです。
さて、私たちは、さまざまな制約下のあるトレードオフで選択(意思決定)を迫られますが、合理的な選択とは何でしょうか。
著者は、選択(意思決定)には、「短期的な最適化」と「長期的な最適化」があると言います。短期的な最適化は「進化的合理性」、長期的な最適化は「論理的合理性」とも言い換えられますが、前者は甘いケーキを食べておいしい(幸せだ)と思ったり、好きなことをして満足を得たりすること、後者は短期的な快楽を我慢して、長期的な利益(健康や金銭的安定)を得ることです。
これらを踏まえたうえで、金融・人的・社会の3つの資本について、コスパ(コストパフォーマンス)とリスパ(リスクパフォーマンス)を最適化するのが、よい選択ということになります。コスパは、同じ費用をかけてできるだけ大きなリターンが得ることを目指すことですが、リスパ(著者の造語)とは、同じリターンならリスクは小さいほうがいい、という原則です。
もちろん、人間関係(社会資本)でコストやリスクを論じるのに抵抗がある人は多いでしょう。それでも、人間関係(恋人や結婚相手、付き合う友人)の構築において、選択が生じる以上、最適な選択というものはあり、それが成功に大きく影響するというのは確かなはずです。
ちなみに、筆者は、最近若者の間で言われる「タイパ」(タイムパフォーマンス)の本質は、人間関係のコストだと述べています。なぜかというと、人間関係の濃い・薄いは、その人に費やす(その人と過ごす)時間の長さに関連しているからです。
“いまの若者は、友だち関係を維持するために膨大な時間資源を消費し、それでも時間が足りなくなって動画を早送りしたり、飛ばしたりしている。だがこれは、逆にいうと、「友だちを減らせば大量の時間資源(リターン)が生まれる」ということでもある。だったらなぜ、そうしないのか?” 橘玲『シンプルで合理的な人生設計』より |
人間関係の維持にも大きなコストがかかっており、私たちはトータルでコストを見直す必要があるのです。
たとえば、多くの人にとって家族は大切で、だからこそ家族という人間関係のコストは削れない、だから他のどのコストを削るか、という選択が必要になるわけです。
著者は、アマゾンCEOのジェフ・ベゾスが毎日8時間寝ることを最優先しているエピソードを引きながら、「1日は24時間ではなく10時間しかない」と述べています。その理由は、人間には睡眠が必要であるという単純な理由に加えて、その睡眠が、巷で考えられている以上に重要だからです。
近年の睡眠科学によって明らかにされた様々な事実を示しながら、著者は十分な(8時間程度の)睡眠が、健康のために必要なだけでなく、記憶や感情の安定、仕事のパフォーマンスのためにも重要だと説明します。
また、日中にボーとする時間や歩くことの意義も、進化生物学的な根拠から説明をしています。日中の午睡(スペインやイタリアなどの「シエスタ」の習慣)が合理的であること、1日25分程度のウォーキングの価値などについて、詳しく述べられています。
著者は、幸福におけるお金の役割について、本書を問わずさまざまな著書で述べています。そして、お金持ちになるための方法として、以下の数式で示される方程式を説明します。
資産形成 = (収入-支出) + (資産×運用利回り) |
ここから、お金持ちになるには、①収入を増やす、②支出を増やす、③運用利回りを上げる、の3つの方法しかないことがわかります。
最初にすべきなのは、①収入から②支出を引いた「貯蓄額」を上げることで、一定の貯蓄ができたら、次に運用を考えます。金融資本の活用=運用で勧められるのが、株式インデックスファンドです。もちろん、セミプロ級に投資に習熟すれば話は別ですが、再三述べられているように、私たちには、時間や能力の制約があるので、コスパ、タイパ、リスパを考慮すると、インデックスへの投資一択に決まるというのが、著者の主張です。
ただ、貯蓄や投資以前に、資本そのものが小さい(収入が低い)ままでは、一向に豊かにはなれません。(もちろん精神的な豊かさではなく、経済的な豊かさのみを述べています。)そこで、人的資本を厚くすることが述べられます。
OECD(経済協力開発機構)をはじめとするさまざまな国際調査で、日本は「世界でいちばん仕事が嫌いで、会社を憎んでいる」という結果が出ています。しかも、バブルの絶頂期から、日本のサラリーマンより、アメリカの労働者の方が「今の仕事に満足している」とするデータがあるようです。つまり、日本人の多くは、したくない仕事、つらい仕事を嫌々ながら続けているということです。
一方、Youtubeなどのサイトに動画をアップして、そこから(時に莫大な)収益を得ている人がいます。いわゆる「ユーチューバー」と言われるような人は、「好きなこと、得意なこと」をマネタイズ(金銭化)することで生計を立てています。
著者の定義によれば、人的資本とは、人がもつさまざまな能力の中で、「マネタイズ可能なもの」を言います。成功のためには、自分がもつ能力・アドバンテージをどのようにマネタイズするかが重要です。
そして、人的資本は、好きなことや得意なことに一極集中するしかないという結論が述べられます。
“自分や家族にとってなにがほんとうに大切(エッセンシャル)かを決め、優先順位の低いものを切り捨てて、やることを計画的に減らす。…ますます複雑化する現代社会において、「大事で重要なこと(エッセンシャル)に集中する」以外の対処法がないことを、誰もが(なんとなく)気づいている” 橘玲『シンプルで合理的な人生設計』より |
そして、人的資本を一極集中するには、時間資源を無駄にする作業を徹底的に減らさなければならない、と述べます。とくに、「会社の雑用」を極小化し、いわゆる「ブルシット・ジョブ(クソどうでもよい仕事)」を排除するため、フリー・エイジェントになれることをゴールにします。ただし、会社をアーリー・リタイアすることの危険性も指摘されています。
一番重要なことは、自分の能力が優位性をもつ市場(ニッチ)を見つけるということです。競争には大きなコストがかかります。したがって、競争が少ない場所、できれば本質的に競争しないところで、「ナンバーワンになれるオンリーワンの場所」を獲得せよ、というのが著者の提言です。
具体的には、「分野をずらす」「階層(ジャンル)をずらす」「新しい場所に移動する(ベンチャー戦略)」の3つがあります。例えば、本書の例(ミュージシャンの人的資本戦略)を挙げれば、クラシックの世界ではなく、テクノ系の音楽に「分野をずらす」、テクノ系のダンスミュージックのなかでも、ハウス、ハードコア、トランス、ガバなどの「サブジャンル」へと「階層をずらす」などのやり方があります。
最後の資本は、「社会資本」、つまり人々のネットワークです。ネットワークの科学の知見から、成功した人を友人にすることの効用が説明できます。そのような理想的な友だちを作るのが難しい場合は、マイナスの友だち(反社会的な人など)を席からはずす戦略があります。
とくに、実力・パフォーマンスが数値などで客観的に測れないような領域(典型的には、音楽、アート、クリエイティブなどの領域)では、人間関係のネットワークが成功のカギになることが実証実験の結果などから示されます。
本書では、美術作品が高額で売れる(成功する)例として、ギャラリーオーナーや美術館のキュレーターなどとの「つながり」(人間関係・社会資本)がいかに重要な役割を果たしたかが説明されています。
それから、成功するプロジェクト(チーム)に参加することの意義も強調されています。
いずれにせよ、社会資本の土台構築においては、誰と仕事をするか、を決めること、決められることがもっとも重要だということです。そして、そのような「仲間」を持つためには、テイカー(Taker)ではなく、ギバー(Giver)になることが求められます。
ギバー(Giver)といっても、有限のものは与えられないので、与えて減らないもの、すなわち、「面白い情報」を教えることと「面白い知り合い」を紹介することが勧められます。
“「いいね」が貨幣と同じになる評判経済は、「ネットワーク経済」でもある。そこでは、「面白いことを教えあう」「ひととひとをつなぐ」ことでコミュニティーがつくられていく。情報も人脈もどれだけギブしても減らないし、そればかりかどんどんつながり(ネットワーク)が大きくなっていくのだ。” 橘玲『シンプルで合理的な人生設計』より |
仕事でも人生でも、私たちに与えられた物質的、金銭的、時間的資源は有限で、しかも、相互にトレードオフのものばかりです。だからこそ、さまざまな資源をトータルに考え、合理的に配分していくのは、とても大切です。AIなどのテクノロジーの進化によっても、この事情はそれほど変わらないはずです。
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